(うらのやすおき)
【現代】
豊田市名誉市民。衆議院議員、科学技術庁長官。昭和16(1941)年11月、挙母町に生まれる。昭和35年3月、愛知県立岡崎高等学校を卒業後、学習院大学政経学部経済学科を経て、昭和39年4月に警視庁に入庁、その後、豊田通商株式会社に入社する。昭和52年1月、義父で衆議院議員の浦野幸男の死去の後、同年4月に当時の自民党幹事長大平正芳(のち内閣総理大臣)の秘書となり、同54年10月、第35回衆議院議員総選挙に愛知4区から自民党の公認を得て出馬、トップ当選を果たす。以後6期17年にわたって衆議院に議席を占め、その間、第2次中曽根康弘内閣で外務政務次官、竹下登内閣で通商産業政務次官を務め、平成7(1995)年8月、村山富市内閣で科学技術庁長官に就任した。温厚で敵を作らない、派閥、会派を超えた調整役として知られる一方、類い稀な演説力を有し、第2次中曽根内閣の時には遊説に同行して、集まった5000人もの聴衆を前に見事な演説を行った。東海環状自動車道の整備、中部新国際空港の建設促進、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)の誘致推進においても中心的な役割を担い、平成24年4月に旭日重光章を受章、翌年3月2日には豊田市名誉市民に推挙された。政界引退後も豊田市四郷町下古屋自治区顧問をはじめ、豊田市中央図書館顧問や豊田市柔道会顧問を務めるなど、市の発展に貢献した。令和3(2021)年1月25日死去。享年79。