(うるしせいひん)
【考古】
日本列島における漆の利用は、古く縄文時代にさかのぼる。福井県鳥浜貝塚から縄文時代草創期の漆の木材片や花粉が検出されているが、現在までのところ最も古い漆製品は、石川県三引遺跡で見つかった早期末の漆塗櫛である。縄文時代前期以降、漆の利用が活発化し、山形県押出遺跡では木製品に塗られた漆器(木胎漆器)が多く出土し、縄文時代晩期では青森県中居是川遺跡などで出土した編組製品などに塗られた漆器(籃胎らんたい漆器)が有名である。秋田県中山遺跡や石川県米泉遺跡では、漆こしなどの精製に用いられた編布が出土しており、漆生産の様子をみることができる。漆自体は黒色を呈するが、水銀朱やベンガラなどの赤色顔料と合わせると、鮮やかな赤色の塗料(赤漆)となる。このように漆は塗料としての側面に注目されがちであるが、接着材としても使用されたと考えられている。市内では、寺部遺跡の竪櫛(写真)や神郷下遺跡の籃胎漆器の出土が知られている。漆はその後も利用され続け、足助地区の大貝津遺跡では内面に漆が付着した11世紀代の灰釉陶器碗が、水入遺跡では漆製品を製作する際の漆液を入れた中世の土器・陶器(山茶碗)片が出土しており、市内でも漆製品の製作が行われていたことを示す貴重な資料として注目される。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻118ページ、2巻145ページ、18巻743ページ、20巻442ページ