(えいげんじ)
【古代・中世】
中世後期より篠原町域にあったとされる寺院。曹洞宗本山総持寺の五院の一つである伝法庵の流れをくみ、礼応俊茂が文明元(1469)年に創建したと伝える。所蔵する釈迦如来坐像は猿投神社の西宮に伝来していたものが同寺に移されたという。天文19(1550)年、今川義元が篠原永源寺に宛てて制札(寺内禁制)(写真)を出し、また、弘治3(1557)年にも、義元朱印状が2通(寺内禁制と寺領安堵)出されている。これら今川義元文書(永澤寺所蔵)は市指定文化財である。永禄7(1564)年、本山総持寺より永源寺住持に対して法要出仕を求める書状もある。また、「永源寺引着帳」は、同寺七世天山の作成とされ、永禄10年から慶長2(1597)年まで、永源寺で火葬した人たちを記録したものである。乙部・伊保・亀頸など周辺地域のさまざまな階層の人名が見出され、地域社会における信仰を基盤とした寺院のありようがよくうかがえる。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻519・540・634ページ
→ 永澤寺