円通院本堂

 

(えんつういんほんどう)

【建築】

明川町(足助地区)。寺は、曹洞宗、中本村原田八郎右衛門黒綱を開基とする。寺は明川大野地区の奥地に寺地を構え、前庭の北奥に本堂を設け、前庭の東側に庫裏、西側に禅堂を向かい合わせ、いずれも旧茅葺の外観をよく留めている。本堂、庫裏、禅堂は江戸後半に建てられ、中興を15世高山圑秀としており、同世代の再建であった可能性がある。本堂は、建築様式から18世紀後半の建立とみられ、庫裏、禅堂は19世紀前半の建立とみられる。本堂は、桁行5間、梁間5間、入母屋造、鉄板葺、一間向拝付、南面建ち。間取りは、前面に広縁を通し、前後2列、横3室の方丈形式とする。向拝は、几帳面取角柱を立て、柱上に虹梁を渡し、柱頂に連三斗を載せ、主屋と海老虹梁で繋ぎ、向拝屋根は主屋屋根の下に差し込んでいる。堂前面は、中央間では差鴨居を高く通し、木階を付けて入口とする。その両脇では、中敷居・差鴨居を通し、引違い戸を入れて窓とし、柱上に斗栱を用いず、一軒半繁垂木をみせる。堂内は、広縁では畳敷詰め、大間では、間口3間半、奥行2間半の17畳半とし、大間前面では中央間に高く虹梁を渡し、その両脇では上・下の間前面まで敷居・鴨居、内法長押を通し、内法上を白漆喰壁とする。大間と上・下の間境では敷鴨居・内法長押を通し、中央に吊束を入れて竹の節欄間を嵌めて格天井を張り、上・下の間では、10畳とし、上奥・下奥の間では、8畳としていずれも棹縁天井を張り、上奥の間では東側面に床の間と棚を造って北面を戸口とし、下奥の間では背面に位牌壇を造っている。内陣は、前面に2本の丸柱を立て、柱間3間に中央を高く虹梁を3スパンに渡し、柱上に平三斗を置いている。内陣の中央後方では、来迎柱を立て、前に禅宗様須弥壇、後ろに仏龕を出して本尊物を安置する。内陣の後方には後門を開き、その両脇に土地壇、祖師壇を造っていた。後門の奥には、開山堂・位牌堂を設けている。本堂、庫裏、禅堂は、いずれの建物も規模が大きく、近世後期の曹洞宗寺院伽藍としてよく保存されている。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻163ページ