【現代】
急激に増加する新住民相互の融和および在来住民との交流などを通じて、豊田市民としての一体化をすすめるために「豊田まつり」が創設された。昭和43(1968)年、豊田市駅前の市街地で、従来から夏の夜に開催されてきた「天王・扇まつり」を「豊田まつり」と名称を変更して行うことにしたのである。その後20回にわたって継続してきた豊田まつりは、イベントのマンネリ化、参加者の固定化などの課題を指摘され、市民代表による「豊田まつり懇談会」を設置して見直しが進められた。新しいまつりは、この提言を受けて名物となる踊りづくりと「踊り連」の組織化で参加者の拡大、花火大会の大規模化、演出の改善が図られることになった。平成元(1989)年から、名称も「豊田おいでんまつり」と変更された。平成元年7月28日から30日の3日間、第21回豊田おいでんまつりが開催され、前年を5万人上回る33万5000人の人出があった。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻162・361ページ