(おおうすのみことのはか)
【考古】
猿投山(標高629.0m)の山頂近くに鎮座する猿投神社西宮の後方山上(猿投町鷲取、標高520m前後)に所在する景行天皇の皇子大碓命の陵墓。『陵墓要覧』(1956年)には「円墳」とあるが、花崗岩の玉垣に囲まれた墳丘状の高まりは、一辺約10m・高さ1.3mほどの方墳状を呈している。立地などから考えて古墳とは認めがたいが、美濃と関わりが深い大碓命の墓として伝えられていることは、地域間交流を考える上でも興味深い。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻365ページ、20巻759ページ
【近代】
大碓命は景行天皇の第一皇子であり、小碓命の兄とされる人物である。美濃国に領地を得たが、景行天皇52年5月に猿投山に登った際に、毒蛇に咬まれ42歳で亡くなったとされ、猿投神社の祭神として祀られている。大碓命墓とされる墳墓は、猿投神社の西宮からさらに山頂へ登った先にある。太田正弘『猿投神社の綜合研究』によれば、大碓命墓の初見は、寛文2(1662)年4月の幕府寺社奉行所宛の「正一位大明神社次第」であり、江戸時代中期には鳥居や玉垣などの施設が設けられたようである。明治維新以降、猿投神社から神祇事務局に対して墓の修繕を願い出た結果、明治8(1875)年には、教部省が実地調査を行っており、この時点で、高さ5間、周回20間の墳墓があったと記されている。この結果、大碓命の墓所として確定し、反別1町3反1畝15歩が官有地に編入された。翌9年には、墓掌・墓丁が置かれた。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻362ページ