(おおがいといせき)
【考古】
足助地区の小町大貝津ほかに所在し、矢作川の支流阿摺川右岸の南向き河岸段丘上に立地する。昭和50(1975)年に発見され、60年の確認調査後、62年度の道路改良工事に伴って850m2の発掘調査が行われた。縄文時代を中心として、古代~中世の遺物等がみられる。縄文時代の遺物は、早期前半の押型文土器、後期前半の称名寺2式併行の土器等がみられ、石鏃・石錘・打製石斧・磨製石斧も出土しているが、遺構は検出されていない。遺構は7世紀の溝や8世紀末~9世紀前半の竪穴建物跡3基と小型の竪穴建物跡1基、2m四方に板ないし棒状の木材が集積している特殊遺構(11世紀後半~12世紀前半)などが検出されている。2基の竪穴建物跡からは、遺構の山側外に「コ」の字・L字に配列された柱穴列が検出されており、柵あるいは竪穴建物の屋根に連続する軒下施設と考えられている。また、古代の移動式カマド・製塩土器や、内面に漆が付着した11世紀代の灰釉陶器椀の出土が特筆される。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻365・371・402ページ、18巻268ページ、20巻442ページ