(おおかべたてもの)
【考古】
囲溝と呼ばれる方形または長方形の溝を巡らし、その中に細い柱を狭い間隔で立て並べ、地上部分に細かく横木を組み合わせて芯材とした後に、土で塗り固めて柱がみえなくなる大壁を構築した居住用の建物。内部に柱を立てず、大壁のみで屋根を支える構造である。奈良盆地南部にみられる5世紀前半頃の初期の事例は、朝鮮半島の百済を起源とする渡来系の色彩が強い。これまで全国で150基以上が確認されている。6世紀後半~7世紀にかけて近江に拠点が移り、7世紀後半~10世紀には関東から東北地方にまで波及した。東海地方の確実な検出例は、矢迫遺跡(鴛鴨町)の3基(図:推定復元図)を数えるのみである。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻380ページ、19巻248ページ
→ 矢迫遺跡