(おおかわがはらよう)
【考古】
猿投山東南麓の藤岡地区藤岡飯野町地内に所在した室町時代(15世紀中葉)の窯跡で、猿投窯から派生した藤岡窯に属する。五釜窯・山永窯の別称がある。昭和42(1967)年に陶土採掘現場で発見され、同年末から翌年1月にかけて発掘調査が行われて、古瀬戸後期様式(後Ⅳ期古・新)の施釉陶器を焼成した窖窯1基と灰原が検出された。窯体の天井および煙道部は失われていたが、焚口・燃焼室・焼成室は比較的良好に残存していた。幅狭な燃焼室等の窯構造と焼成品は、中世瀬戸窯の施釉陶器窯と酷似しており、瀬戸窯との強い関連性を示している。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻447ページ、20巻246ページ