大島義高  生没年未詳

 

(おおしまよしたか)

【古代・中世】

南北朝期の武士。清和源氏新田氏の庶流。上野国新田荘大島郷を所領としており、名字を大島と名乗った。義高の父義政は建武2(1335)年に新田方として足利尊氏方を攻めたが、直後に尊氏に従い、その後尊氏とともに各地を転戦し、幕府に重用された。子の義高は三河守護に任じられ、延文5(1360)年から永和3(1377)年まで在任が確かめられる。長期に及び在職しており、観応の擾乱後の三河国での混乱を次第に安定させていったと見なされている。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻364ページ