(おおだいらほんじょう(おとこじょう)あと)
【考古】
小原地区大平町にある中世城館跡で、犬伏川支流の大平川が開析した谷の東側の岐阜県境に近い標高約397mの山上に立地している。『三河国二葉松』や『三河志』には記載がなく、『西加茂郡誌』(1926年)で初めて紹介された城郭である。南東に大平本城、北西に大平姫城がある。平成3(1991)年以降にいくつかの縄張り図が作成され、平成22年には急傾斜地崩壊対策事業に伴い県埋蔵文化財センターが城跡西側斜面で310m2の発掘調査を実施している。戦国時代の遺構としては、土塁とその内側に展開する3つの平坦面などが確認され、土塁007SAは主郭南側の堀切の内側にある土塁の延長部で西折して下段の平坦面を囲んでいる。下段の平坦面は南側に拡張され端部が急傾斜の切岸となっていて、15世紀後半~16世紀初頭頃に築造されたとみられている。平坦面から16世紀前半の溝や土坑などが検出され、主郭の西側にも曲輪が展開していたとみられる。
『新修豊田市史』関係箇所:20巻266ページ