大野鍛冶  

 

(おおのかじ)

【民俗】〈諸職〉

知多半島の大野谷(現常滑市大野)を出身地とする鍛冶屋集団。12、3世紀に近江国から大野谷に鍛冶屋集団が移り住んだのが始まりで、元は武具鍛治であったものが農鍛治に転換したものとされる。普段は農業をしていたが、大野谷で居鍛治を営んだほか、主として農閑期に愛知県内を中心に東美濃にかけての村々に出かけ、鉄製品の修理や製造を行った。これをデカジ(出鍛冶)やデバリ(出張り)、デショク(出職)といい、とりわけ鍛冶屋の少なかった三河山間部で活躍した。扱ったのは農具であれば鍬や鎌、山仕事の道具としては鉈やヨキ(斧)などを手がけた。得意先があり、保見地区には、明治生まれの大野鍛冶がバスに乗って通っていたという。大野鍛冶の中には出鍛冶に出向いた先で定住する者も少なくなかった。大野鍛治は一つのブランドになっており、親方が定住先で弟子を取り、その弟子が一人前になって親方を継ぐと、自身も大野鍛冶と名乗ることがあった。〈諸職〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻194ページ、16巻151ページ