大野瀬神社本殿

 

(おおのせじんじゃほんでん)

【建築】

大野瀬町(稲武地区)。本殿の建立年代は、様式的にみて江戸時代末期(19世紀中頃)と推定される。本殿は大型の一間社流造で、軒は一軒繁垂木、屋根は杮葺である。身舎の正側三方に擬宝珠高欄付の縁を廻らし、側面の縁後端に彫刻板を嵌めた脇障子を設ける。正面には登高欄付の木階5級を置く。身舎柱は円柱で土台上に立て、四周に縁長押・内法長押・頭貫を廻らし、頭貫端に木鼻を出す。柱上には出組斗栱を載せ、板支輪に彫刻を施す。正面の柱間には敷居と鴨居を通し、方立・小脇羽目を組み両開き板唐戸を吊る。側背面の柱間は横板壁とする。妻飾は妻虹梁の中央に大瓶束を立て、束上に大斗実肘木を置いて化粧棟木を受ける。庇柱は面取角柱で、柱間に縁長押・頭貫虹梁を渡し、虹梁端を象の彫刻木鼻とする。柱上には出三斗を載せ、中備に龍の彫刻を配す。また、斗栱背面には彫刻手挟を入れ、身舎柱との間に海老虹梁を架け、正面に獅子の彫刻木鼻を出す。この本殿は、庇正面に龍・獅子・象の立体的な彫刻を配し、庇の虹梁の絵様も溝彫りではなく、立体的な彫刻としており、諏訪の立川流の流れを汲む大工によるものと推察される。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻256ページ