大橋勤  1929~2006

 

(おおはしつとむ)

【考古】

井上町出身。高校教諭を務める傍ら遺跡調査に尽力した。昭和35(1960)年に赴任した県立岩津高校で考古学と出会い、久永春男の指導を受けながら、岩津古墳群や天神山古墳群などの調査を実施。昭和40~42年には、上向イ田窯(亀首町)、来姓古墳・古窯群(八草町)、船塚遺跡(越戸町)、下り松古窯(みよし市)、樫尾古墳群(野見山町)などの重要遺跡を次々に調査した。昭和44年、壊滅の危機にあった伊保遺跡(保見町ほか)を調査するために、杉浦知らと猿投遺跡調査会を結成し調査に当たった。翌年の調査では古墳時代前期の叩き甕が多量に出土。私費を投じて完成させた発掘調査報告書は、伊保遺跡の名を全国に知らしめるとともに、畿内系勢力との関係性を巡る議論の出発点ともなった。昭和55年からは杉浦とともに『月刊矢作川』に「埋蔵文化財からみた矢作川流域の歴史」を連載。同年から調査した水汲遺跡(下川口町)でも大きな成果を挙げた。平成17(2005)年には猿投遺跡調査会の発掘調査資料などを豊田市に寄贈し、没後の平成19年には大橋の寄贈資料をもとに豊田市郷土資料館で企画展「籠川流域の遺跡群-猿投遺跡調査会寄贈資料を中心に-」が開催された。


『新修豊田市史』関係箇所:1巻248ページ、19巻44/20巻762ページ

→ 伊保遺跡杉浦知久永春男