(おおみねしんこう)
【民俗】〈信仰〉
修験道の開祖役行者が開いたとされる大峯山(吉野~熊野)を修行の根本道場として信奉する山岳信仰。大峯山に登拝する信仰組織を大峯講というが、役行者との関係から行者講といったり、吉野の山上ヶ岳への登拝を重視するところから山上講といったりもした。大峯山に登拝することを「行者さんへ行く」と呼びならわし、若者が一人前になるための通過儀礼のひとつとして大峯山登拝を行う地域もあった。ムラには行者堂に役行者の石像が安置され、定期的に祭りを行った。浅谷(旭地区)では毎月6日と17日に講宿で大峯講の勤行があり、年に1回、山上ヶ岳に登った。山上ヶ岳が女人禁制のため、女性の参加者は山麓の洞川龍泉寺で男性たちの下山を待った。保見、篠原(保見地区)、鴛鴨、畝部西(上郷地区)、宮口(挙母地区)などにも行者堂と祭りがあり、保見では祭りの日に子ども相撲が奉納された。羽布(下山地区)には狐落としのできる大峯講の先達がいた。〈信仰〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻812ページ、16巻760ページ