(おおやしきいせき)
【考古】
足助地区の川面町大屋敷ほかに所在し、西流する巴川が南側へと蛇行する右岸の河岸段丘上に立地する。昭和40(1965)年の分布調査で発見され、42・43年には町誌資料収集、47年度には県道拡幅工事に伴う発掘調査が行われている。川岸の段丘崖付近の標高313mの段丘面からは縄文時代中期後半の石囲炉を伴う竪穴建物跡1基と集石遺構(野外炉跡)1基が、それらの北側の標高315mの一段高い段丘面からは弥生時代前期の土器棺墓が1基検出され、わずかながら平安時代~鎌倉時代の陶器類も出土している。段丘崖付近の下段の調査区からは縄文時代早期後半の押型文土器も1点出土しているが、多くの遺物は中期後半に属し、後期・晩期の土器や石鏃・石錐・磨製石斧・異形石器等も出土している。多量の礫で覆われた調査区もあることから、配石遺構が広がっている可能性も指摘されている。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻79ページ、18巻445ページ、19巻362ページ、20巻482ページ