岡崎海軍航空隊 

 

(おかざきかいぐんこうくうたい)

【近代】

現上郷町・福受町・桝塚西町に基地があった日本海軍の航空隊。昭和17(1942)年6月のミッドウェー海戦敗戦により、海軍は航空兵力建て直しおよび増勢を図るための計画を立て、その計画に基づき増勢された航空隊の1つが岡崎海軍航空隊であった。昭和17年以降、総面積400haに及ぶ土地買収と基地建設工事が進められ、飛行場中央部に滑走路、それを挟んだ北と南の地区に士官宿舎や兵舎、格納庫などが建てられた。昭和19年2月、南側隊舎に河和海軍航空隊岡崎分遣隊が配備され、4月に岡崎海軍航空隊(のち第1岡崎海軍航空隊と改称)として独立、同月北側隊舎に岡崎海軍航空隊上郷分遣隊が配備され、8月に第2岡崎海軍航空隊として独立した。どちらも航空機の整備教育を担う航空隊であった。9月には北東部に操縦教育を行う名古屋海軍航空隊岡崎分遣隊が配備され、昭和20年2月に第3岡崎海軍航空隊として独立した。戦局悪化に伴い5月には練習機による特別攻撃を主体とする第12・第13航空戦隊が編成されることとなり、第3岡崎海軍航空隊は練習航空隊の指定を解除されて作戦部隊となって第13航空戦隊に編入された。その後、第三岡崎海軍航空隊では本土防衛作戦への参加のため、特別攻撃隊を3飛行隊編成して各地に展開したが、結局出撃命令が出されることなく敗戦を迎えた。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻625ページ、11巻110ページ

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