岡崎海軍航空隊基地関連遺構

 

(おかざきかいぐんこうくうたいきちかんれんいこう)

【建築】

桝塚西町郷西の民家にはコンクリート造の送水ポンプ場(写真)の遺構が残されており、これは矢作川から基地に送水するための施設で、そのための給水池も近年まであった。間口(南北)5.9m、奥行4.3m、高さ2.6m。また上郷町の天道院境内には8基の海軍用地の標柱が集められており、角柱で縦横0.19m、高さ0.50m、軍用地と民有地の敷地境に建てられていた。福受町の山王神社では、コンクリート製の幅0.7m、厚さ0.22mの方形の蓋20枚があり、滑走路の両側の排水溝に使われた。この神社には第2岡崎海軍航空隊基地にあった海軍神社の手洗い鉢も移設されている。安城市橋目町の霊園には防空監視塔の遺構があり、開拓第四工区記念碑として転用されている。これは、かつて岡崎海軍航空隊基地にあったもので、昭和30年の耕地開発事業記念に伴って移設された。直径1.5m、高さ5.4mのコンクリート製円柱で、上部に4か所の監視窓を開けている。その他に、第3岡崎海軍航空隊兵舎と倉庫が桝塚西町の合資会社野田味噌商店の味噌蔵として再利用された。兵舎の一部は上郷中学校の校舎となっていたが、譲り受け味噌蔵となった。第3岡崎海軍航空隊倉庫であった恵比寿の杜(味噌蔵)は、桁行14.4m、梁間7.06m、木造2階建、切妻造、桟瓦葺。洋トラス、下見板張りで、嵌め殺し窓や引き込み板戸など建具が残る。第2岡崎海軍航空隊兵舎であった毘沙門の杜(味噌蔵)は、桁行18.2m、梁間8.19m、木造2階建、切妻造、桟瓦葺。下見板張り、一軒疎垂木の建物である。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻538ページ