岡本実太郎  1881~1952

 

(おかもとじつたろう)

【近代】

明治14(1881)年6月25日に西加茂郡亀首村で生まれる。明治36年に明治法律学校を卒業、司法官試補として勤務する。明治37年に大蔵省に入り、尾道・坂出・金沢・広島などの各専売支局長を経て、大正9(1920)年に退官。退職後は日本硬質陶器株式会社の常務取締役に就任するが、弟の金次郎とともに弁護士を開業した。大正13年第15回衆議院議員総選挙において、愛知第11区(東西加茂郡、額田郡、幡豆郡)から憲政会所属で当選(その後も立憲民政党所属)。以後、計6回の総選挙に当選している。立憲民政党総務や第二次若槻礼次郎内閣では農林参与官を務めた。戦時中には南洋視察議員団長として、南洋群島やフィリピンなどへ派遣されている。市域においては、岡多線の敷設促進などの地方開発に尽力する。敗戦後は日本進歩党所属で当選、晩年は猿投農協の組合長を務めた。昭和27(1952)年4月30日死去。岡本実太郎先生頌徳碑が猿投町亀首に建立された。


『新修豊田市史』関係箇所:11巻64ページ