大給役所  

 

(おぎゅうやくしょ)

【近世】

大給松平家の分家にあたる真次が知行所支配のために大給村(松平地区)においた役所。真次は松平真乗の次男で、寛永4(1627)年に加茂郡・額田郡に2000石の知行を得て、寛永16年には上総国(千葉県)にあった4000石の知行所が加茂郡に村替えとなり、三河国で6000石の知行所を得た。正保3(1646)年の長男乗次の家督相続の際に、養子の乗真に加茂郡のうち3000石の知行所を分割するものの、貞享元(1684)年に乗次が摂津国(兵庫県)などで1万石の加増を得て、立藩することとなり、旗本役所から藩庁となった。正徳元(1711)年に大給村から奥殿村(岡崎市)に藩庁を移し、大給村の藩庁は廃止となった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50ページ