(おざわしょういち)
【現代】
足助町時代に役場職員として観光振興に尽力した功労者。足助町新盛(足助地区)生まれ。猿投農林高等学校卒業後、愛知県農業講習所(現愛知県立農業大学校)で農業指導に関する資格を取得。昭和34(1959)年、足助町職員(技術吏員)となった。昭和36年11月、在職中に社団法人国際農友会(現公益社団法人国際農業者交流協会)の派伯実習生(現農業研修生)としてブラジルに渡り、農業振興や生産技術、経営の革新などを学んだ。約1年の実習生活を終えて昭和38年2月に帰国、役場に復帰してからは産業振興に従事した。昭和50年頃には足助の町並み保存運動の仕掛け人として運動の先頭に立ち、生活文化を伝承していくことの重要性を住民に浸透させた。昭和55年4月に「三州足助屋敷」、平成2(1990)年10月に「福祉センター百年草」の2つの独立採算運営の施設建設に携わり、山村の生活文化の伝承と高齢者雇用を組み合わせた観光振興を実現し、足助の地域活性化に貢献した。役場勤務時代は、企画課長、教育長、助役などを歴任し、平成11年6月、足助町観光協会長に就任した(のちに足助公社社長と兼務)。平成15年1月、「生活文化型観光(山里版)のカリスマ」として、国の観光カリスマ百選に選定され(第1回選定委員会で選ばれた11人のうちの1人)、令和3(2021)年2月に死去。享年83。