(おののなりつな)
【古代・中世】
鎌倉時代前期の武士。武蔵国多摩郡横山(東京都八王子市付近)を拠点とする横山党に属する。小野成任の嫡男。伊豆の流人時代の源頼朝に近侍していたという。元暦元(1184)年11月、頼朝から「西国」各地に所領すなわち地頭職を与えられた。この「西国」は幕府がまだ関東地方から勢力を拡大する中での捉え方で、鎌倉から西の三河も含んでいたであろう。成綱が高橋荘の地頭となったのもこの時であったと考えられている。文治2(1186)年6月、後白河院が天皇家領荘園である高橋荘を横領していると頼朝に抗議した対象も、成綱であったとみられる。初期の地頭設置は、内乱による戦争状況の中、幕府に敵対した武士がいたとされる土地を占領して進められたものである。そうした理由を掲げて、成綱が高橋荘を占拠し、頼朝から追認されたものであろう。それを後白河院が非難したのであるが、頼朝は成綱の権益を守り抜いたようである。尾張の守護もつとめ、以後、長く高橋荘地頭と尾張守護を兼ねる形が小野氏、中条氏に踏襲された。建暦元(1211)年以前に没した。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻223ページ