(おのりかえばし)
【近代】
明治43(1910)年11月7日、碧海郡高岡村で陸軍師団対抗演習が実施された。同日、名古屋偕行社を出発した皇太子嘉仁親王は刈谷駅で下車、人力車に乗って演習地まで向かった。碧海郡高岡村大字堤にある逢妻川上流に架かった代官橋に到着後、川の右岸橋の南方で主馬寮より遣わされた馬に乗り換えた。この時、逢妻川原の低地では公職者や村民が皇太子を奉迎した。そして、松葉山に設けられた御座所へ向かい、演習を見学した。皇太子は演習終了後、再び馬に乗って、代官橋に到着後、人力車に乗り換え、刈谷駅に向かった。この演習後、橋の名前が御乗替橋と改められ、大正3(1914)年には二つの記念碑が建立された。一つは岡崎藩出身の陸軍大将・土屋光春の書による「鶴駕更騎閲兵之処」という記念碑、もう一つは地理学者の志賀重昂がこの場所の意味について記した文章が刻まれた記念碑である。皇太子が来て馬に乗り換えたことは、地域にとって大きな意味をもった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻391ページ