(おばらのまちなみ)
【建築】
明治初期には街道も無く山間の小道であったが、中期になり里道の明智・南北・小原街道と繋がり、末期には飯田街道が大草と直結して、その街道筋2kmほどに町並みが形成された。明治39(1906)年、豊原・福原・清原・本城の4つの村が合併して、小原村が誕生し、その役場が大草に置かれた。初代庁舎は、街道筋に建てられた。昭和9(1934)年洞に新築移転、昭和52年には上平に新庁舎が竣工し再三移転する。平成17(2005)年豊田市に編入された。街道は尾崎から堂ノ本にかけ緩やかに湾曲しており、70戸ほど民家が往時を偲ばせる。そこには4つの組(西洞・平岩・北洞・登組)があり、諸規則を決めている。町並みは、主に大正中期から昭和にかけての民家が多く、街道中心には旧庁舎と、隣接する小原診療所(大正末期)が木造下見板張りの近代建築となる。商人宿藤屋・品野屋旅館(大正末期)は今もその姿をみせている。また、演芸場の宝城座も昭和45年まで営業しており、賑わっていた。茅葺(亜鉛鉄板覆)の民家も残り、大正期の町並みをみせている。街道は県道陶・小原・豊田線となり国道419号が新たに新設され、街並み筋は脇路となった。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻387ページ