お日待ち(共同飲食)

 

(おひまち(きょうどういんしょく))

【民俗】〈社会生活〉

集会やムラの共同作業などの後の共同飲食をオヒマチ(お日待ち)といった。本来は夜に忌籠りして日の出を拝む信仰的行為であったが、付随した飲食が楽しみの対象となり、宴会のこともオヒマチと称するようになった。市域山間部の下佐切(足助地区)では、昭和22(1947)年頃まで日没後に若い衆が区長の家で酒を飲んで一晩明かし、朝日の出るのを待つ習慣があったが、のちにはムラの常会の後の慰労会をオヒマチと呼ぶようになった。市域平野部の多くの地域では、オヒマチは共同飲食の意味に解されている。西広瀬(猿投地区)のオヒマチはムラの総会の後に行われ、五目飯と大根漬けが料理の定番であった。信仰的な意味合いのない親睦のための宴会はシコと呼ばれ、若い衆や青年会、消防団では土用干し、祭りの棒の手の練習を開始する棒始め、祭り後のヤマオロシ、年末の夜警などの後に行った。共同飲食の料理は、鶏をつぶしてかしわを入れたアジゴハンが定番であった。〈社会生活〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻517ページ、16巻470ページ