皆福寺

 

(かいふくじ)

【古代・中世】

幸海町(松平地区)に所在する真宗大谷派寺院。室町時代・15世紀初頭の制作と推定される「聖徳太子孝養像ならびに法然・親鸞像」(絹本着色・掛幅装、市指定文化財)を所蔵し、また戦国時代の道場本尊とみられる「方便法身尊像」(絹本着色・掛幅装)も現存する。開創等の詳細はわからないが、中世からの歴史があるとみてよい。野寺本證寺末で、三河一向一揆の際、足助に逃れた本證寺空誓をよく助けたという伝承がある。もとは現在地から北方約500mの酒呑地区の嶺ヶ根に所在したが、文政10(1827)年から安政年間(1854~60)頃、現在地の山地を整え、現本堂等が建立されて移転したという。所蔵する史料として、江戸時代の聖徳太子影像・七高僧連坐影像、親鸞絵伝や本願寺歴代の影像などの基本的な真宗寺院の法宝物類に加えて、仏伝図(紙本着色・掛幅装、全4幅)があることも注目される。一般的な構成とは異なる真宗色の強い場面選択があり、絵解きに用いられていたものとみられる。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻625ページ、21巻304・305ページ

→ 浄土真宗の絵画