(かがみだこふん)
【考古】
高橋地区東山町の標高68mの丘陵先端部に位置する古墳で、戦後の開墾により墳丘が破壊された。昭和40(1965)年に市教育委員会が実施した発掘調査により、墳丘は失われていたものの、横穴式石室の玄室の床面近くが残存していることが明らかにされた。石室は残存長5.3m、幅1.6mの無袖形で、床面には板石が敷かれていた。石室内から、鉄刀・鉄鏃・刀子・碧玉製管玉・土製小玉・ガラス小玉が出土し、石室や鉄鏃の特徴から古墳の築造時期は古墳時代後期の6世紀後半と考えられている。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻470ページ、19巻698ページ