(かじや)
【民俗】〈諸職〉
鍬や鋤などの鉄製品を製造・修理する鍛冶屋は暮らしに欠かせない存在であり、農具を扱うことが多かったことからノウカジ(農鍛冶)、ノカジ(野鍛冶)と呼ばれた。店を構えるイカジ(居鍛冶)に対し、季節ごとに訪問して仕事をするデカジ(出鍛冶)もいた。鍛冶屋の仕事の多くは道具の修理(サイガケ)であり、客が道具を持って来て頼むこともあったが、鍛冶屋自らが注文を取って回ることも多かった。鍛冶屋の作業場には鉄鋼材を加熱するためのホド(火床)と呼ばれる炉があり、酸素をフイゴ(鞴)で送り込んで石炭やコークスを燃焼させた。ホドの前にはヨコザ(横座)という方形の穴が掘られ、その周囲には熱鉄を大まかに鍛造するためのカナドコ(金床)という鋼鉄製の台や、細かい鍛造に使う小さい金床を差し込むハチノス(蜂の巣)という鋼鉄製の平台などが置かれていた。作業場では、鍛冶屋(親方)は小僧と呼ばれる弟子と2人一組で仕事をし、小僧の代わりに鍛冶屋の妻や子どもが務めることもあった。親方は横座に入って鉄鋼材を鋏(ヤットコ、ハシ)ではさみ、燃えている石炭やコークスの中に入れて加熱した。鉄鋼材が真っ赤になると金床に置き、小僧がオオヅチ(大槌)で叩いて大きく形を整えていった。大槌を持つ役をムコウヅチもしくはサキテといった。親方はコヅチ(小槌)で細かく叩いてさらに形を整えた。鉄製品本体の材料は軟鉄でジガネ(地金)といった。刃の部分には硬い鋼材であるハガネ(刃金)を取り付け、両者を鍛接する際には硼砂や鉄粉を混ぜた鉄蝋という接合剤をまぶした。これには、熱鉄の表面にある不純物を飛ばしてきれいにする役割もあった。鍛冶屋は火を扱うことから「火の神」を信仰し、同業者で秋葉講や金山講を結成した。講の場では製品や修理の料金が決められたという。正月の仕事始めには、宝剣や鍬のミニチュアを作り、作業場の神棚が供えられた柱に打ち付けて祀った。〈諸職〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻194ページ、16巻150ページ