(かすみてい)
【民俗】〈環境〉
不連続とすることで大きな水害を防ぐ堤防。河川の大水害が多発する場所で堤防の一部を切り下げて開放部とし、増水時に上流からの余水をそこから堤防の外に排出させることで本流の水位と水勢を緩和させ、氾濫や堤防の決壊を未然に防ぐようにした。堤防を切り下げたサシグチ(差口)の下流側の堤防を、上流側の堤防よりやや外側に張り出させる請堤とすることで、増水時の余水は差口から排水され、請堤を使って特定の遊水地に導かれて滞留した。本流の増水が収まって水位が元に戻れば、滞留していた遊水は請堤沿いに作られた用水路などを介して再び本流に戻された。霞堤は一般にこの請堤のことをいい、市域ではヨコテイ(横堤)・ヨコテツツミ(横手堤)ともいった。霞堤はその名の通り、本流の外側にもう一つの堤防のあることが条件となるが、市域ではこの請堤がない差口のみの不連続堤も霞堤と呼ぶことが多い。請堤も差口も設けず、溜池の余水捌けのように一定の長さだけ堤防上面を低くした堤防を、野見(高橋地区)、宗定・中切(上郷地区)では乗越堤とか水越堤といった。増水した余水をここから堤防外へ排水する施設であり、これも不連続堤の一種といえる。市域の霞堤や横堤のない不連続堤は矢作川や逢妻女川にみられた。逢妻女川は特に霞堤が多く、かつては20か所ほどあったという。その多くが第二次世界大戦後の河川改修、土地改良事業によって姿を消したが、堤町下町・前林・本田・大島・中田・駒場新田(高岡地区)には、現在も差口または横堤が残っている。増水時の余水が横堤によって導かれる先の遊水地は、ふだんは水田として耕されていた。増水時には水没するため、その土地の所有者にすれば迷惑な話であるが、豪雨によって流れ込んできた上流側の余水は山土や耕土を巻き込んで一定期間滞留するため、耕地には沃土がもたらされた。大島の横堤の先にある遊水地の土地は一等地であったとされる。〈環境〉
『新修豊田市史』関係箇所:16巻9ページ、10号17ページ