(かそう)
【民俗】〈人の一生〉
真宗門徒の多い高岡地区のムラでは、古くから火葬が行われていた。焼き場は各ムラにあり、石の台があるだけで屋根もなかったところが多い。燃料には藁を用い、花園(高岡地区)では「藁を12束背負わせる」といって、亡くなるとすぐに小さな藁4把を4段に積んで縛って1束とし、全部で12束の藁束を作った。駒場(高岡地区)では、火葬はムラの人が2人ずつ回り番で引き受け、オンボヤキとかオンボヤ、ヤマ当番と呼んだ。深い溝にカネの棒を渡して割木を並べ、藁束を敷き、この上に直接、遺体を置いた。割木を脇に突っ込んで藁を上に積み、松葉と藁を使って足元から火をつけ、灰で囲って蒸し焼きにした。当番の人は葬式の晩の食事では一番上座に座った。鴛鴨(上郷地区)では火葬はイットウの人の仕事で、「失敗するとイットウの恥」とされ、長老が責任者となって指図をした。土葬の地域も、昭和30年代からムラの焼き場で火葬にするようになった。〈人の一生〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻663ページ、16巻604ページ