学校給食

 

(がっこうきゅうしょく)

【現代】

日本の学校給食は明治22(1889)年に山形県鶴岡町で始まったが、制度として大規模に導入されたのは、第二次世界大戦後のことである。昭和29(1954)年には学校給食法が制定され、学校給食の目的や目標、国庫負担などが明確になった。豊田市では、昭和25年から小学校の、昭和35年から中学校の完全給食が始まった。当時は学校ごとに調理されていたが、昭和40年からは給食センターによる共同調理方式に切り替えられ、同年に北部給食センターが、同42年に中部給食センターが建設され、同47年には南部給食センターが開設された。平成23(2011)年から供用を開始した東部給食センターは、民間企業が設計・施工から維持管理・運営までを一括して実施するPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)方式を採用し、民間のもつさまざまなノウハウを活用して給食の提供をしている。豊田市の給食の特徴としてはいわゆる「地産地食」が挙げられる。ふつう「地産地消」というが、食べることに重点を置いた言葉で、材料費の一部を市が補助し、豊田市産の材料を使った製品が給食として提供されている。

『新修豊田市史』関係箇所:5巻501ページ、14巻431ページ

→ 「地産地食」