(がっこうゆうちとくべついいんかい)
【現代】
1970年代、小中学校の児童生徒の急増傾向は、高等学校進学者の世代にも現れ、併せて進学率の向上がこれに拍車をかけるようになった。豊田市内の中学生の高等学校進学率は、昭和37(1962)年の64%から昭和48年度には84%と高まった。このような高等学校進学に対処するため、昭和48年4月に学校誘致特別委員会が設置されるとともに、同年12月には「学校法人の助成に関する条例」が制定され、学校法人(高等学校)に施設整備補助制度等が整備された。昭和45年当時、豊田市内には愛知県立豊田西高等学校・豊田東高等学校・猿投農林高等学校・松平高等学校・足助高等学校・加茂丘高等学校・田口高等学校稲武分校の各高等学校があった。それ以降は、昭和46年に愛知県立豊田工業高等学校、昭和49年に衣台高等学校がそれぞれ開校し、私立高校として名鉄学園が経営する杜若高等学校の開校は昭和51年であった。その後、豊田北高等学校(昭和54年)、豊田南高等学校(昭和55年)、豊田高等学校(昭和58年)、豊田大谷高等学校(昭和59年・私立)、豊野高等学校(昭和61年)、南山国際中学校・高等学校(平成5年・私立・帰国子女や外国籍の生徒を対象・平成30年から新入生の募集停止)が開校した。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻500ページ、14巻383ページ