(かねちか1ごうよう)
【考古】
市域西端部の挙母地区高崎町に所在する窯跡で、猿投山西南麓の一小支丘陵の南東斜面に立地している。豊田市公設地方卸売市場建設に伴って昭和55(1980)年に発掘調査が行われ、灰釉陶器生産が本格化する黒笹14号窯式期(9世紀第2四半期)の須恵器・ 灰釉陶器併焼窯であることが確認された。窯体は、直炎式単室構造の窖窯(残存長6.4m・幅1m)で、燃焼室および焼成室が検出された。灰釉陶器の中には陰刻花文の施された段皿もみられる。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻154ページ、20巻30ページ