賀弥郷

 

(かみごう)

【古代・中世】

古代賀茂郡に属した郷名。「かみのさと」とも読める。これまで『和名類聚抄』に賀祢郷と記されていたので賀祢郷と呼ばれてきたが、その一方で「賀弥」の誤字ではないかともされてきた。石神遺跡出土木簡に「下枯里」「□□(下枯ヵ)里」と記した木簡2点が出土し、従来平城宮から出土した木簡に「上枯郷」が存在したため、当初上枯・下枯の地名であったのが、「枯」字がとれ上・下の里名に変化したことが想定できるようになった。寺部遺跡から「加弥」と墨書された8世紀後葉~9世紀前葉とみられる須恵器が出土しており、これが賀弥郷の地名とすると寺部遺跡周辺が有力候補となる。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻75ページ