(かみまんばいせき)
【考古】
旭地区の浅谷町上万場ほかに所在する縄文時代の遺跡。矢作川左岸の緩やかに傾斜した丘陵上に立地し、標高は223~229m。昭和30年代以降の分布調査で縄文土器・打製石斧・石鏃や須恵器・山茶碗などが採集されている。平成2(1990)年に県道の拡幅工事に先立って県埋蔵文化財センターによる発掘調査が行われ、直径4.5mほどの円形の竪穴建物跡1基と数十基の土坑が検出された。出土遺物には縄文土器・石器がある。縄文土器は早期~晩期までの各時期の資料が出土しているが、もっともまとまっているのは竪穴建物跡から出土した前期末~中期初頭の土器群である。石器には石鏃・スクレイパー・打製石斧・磨製石斧・打欠石錘・磨石・敲石・石皿がある。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻92・176ページ、18巻482ページ