甕  

 

(かめ)

【考古】

弥生土器や土師器(古墳~平安時代)でいう甕(甕形土器)は、口縁部が大きく開き内部が深い煮炊き用の土器をさし、現在の鍋や釜にあたる器である。同じような形の器でも縄文土器の場合は、甕とは呼ばず深鉢という。市域を含む東海地方では、弥生時代前期~中期にかけて作られた甕は平底であったが、中期後葉に底部に台が付く「台付甕」が現れ、台付甕は弥生時代後期~古墳時代中期にかけて盛行した。また、一時的ではあったが、古墳出現期には保見地区伊保遺跡や高橋地区高橋遺跡などで出土している畿内系の平底の叩き甕がみられ、さらに挙母地区梅坪遺跡や上郷地区神明遺跡などで尾張平野部を分布の中心とする口縁部が木蓋受け用に屈曲したS字状口縁台付甕が出土している。このため、この時期に甕を含めた土器の移動をともなう活動が活発化したことが指摘されている。古墳時代中期後葉になり、炉に変わってカマドが普及し始めると、台付甕はカマドにかけることには適していないため、台を付けない丸底の甕へと切り替わっていった。こうした弥生土器や土師器のような素焼き系の甕に対して、古墳時代中期に生産が開始された須恵器やそれ以降の灰釉陶器・中世陶器・近世陶器などの甕は、現在の甕と器形・用途(貯蔵容器等)がほぼ一致している。

『新修豊田市史』関係箇所:19巻44・88・166・288ページ、20巻100・442・610ページ

→ 伊保遺跡カマド須恵器台付甕