(かもじほう)
【近代】
挙母村の脇田大山が社長となった加茂時報社(大正9〈1920〉年8月20日に創設)によって発行された(写真:『加茂時報 第132号』愛知県公文書館蔵)。創設に際しての社是は、「厳正中立独立不覇の地位、郡民の公益、社会政策の高潮」を指針とした。大正5年11月から、前身の尾三タイム紙が発行されていたともいわれるが、詳細は不明。大正デモクラシーという時代の流れを背景に、『加茂時報』は東西加茂郡の人々の政治・社会意識を高揚させた。また、加茂時報社は経営でもいくつかの特徴があった。第一に、名古屋の新聞であった『新愛知』などと一緒に配達を行って集金を行い、『加茂時報』をそこに折り込むことで部数を拡大したことである。第二に、地域の新聞としての使命から、地域の人々に有益な情報を掲載したことである。区長が駐在員の役割を担い、東西加茂郡の広報的な役割を果たすこともあった。印刷業を担って、7000部ほどの発行部数があったといわれる。昭和23(1948)年には『加茂新聞』となった。
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『新修豊田市史』関係箇所:4巻606ページ