(がもむら)
【近代】
明治22(1889)年~昭和30(1955)年の東加茂郡の自治体名。江戸時代の藩政村が合併を繰り返したのち、明治22年に成立。明治26年に大和村が分離したが、明治39年には伊勢神村・金沢村の一部を合併し、領域を広げた。合併各村の大字を継承した以下の27の大字(平沢、明川、連谷、大多賀、御内蔵連、千田、五反田、上八木、川面、怒田沢、玉野、二タ宮、菅生、桑田和、綾渡、千野、竜岡、漆畑、大蔵連、椿立、室口、有洞、山ケ谷、山ノ中立、安実京、東大見、葛沢)からなっていた。その後、昭和30年に足助町、盛岡村、阿摺村と合併し、新たな足助町が誕生するとともに賀茂村は廃止された。明治17年の地籍帳からのちに賀茂村となる各村の土地利用データを総計してみると、田259町、畑143町、宅地27町、山林原野3825町であり、また明治24年の「徴発物件一覧表」によると当時の賀茂村は、戸数691、人口3542人(うち、男性1794人、女性1748人)であった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻190ページ