(かもんがわら)
【考古】
近世瓦に特徴的な軒丸瓦の一種で、瓦当文様に家紋を取り入れたものである。城郭建築の軒先に用いられ、城主(藩主)であることを誇示するのが目的であったとみられる。天明5(1785)年に築城された挙母城(七州城)跡出土の軒丸瓦にある釘抜文(写真左)は、挙母藩主内藤家の裏家紋である。また、松平地区にある高月院は松平氏の墓所で、そこで使用されていた可能性のある陶質施釉軒丸瓦(写真右)の中には、青色の瑠璃釉が施された三つ葉葵文がある。それらの製作年代は17世紀前半代と推定される。
『新修豊田市史』関係箇所:20巻72・402ページ