(ガラスだま)
【考古】
日本では弥生時代のガラス製品の出土が知られているが、市内では南山畑遺跡の弥生時代終末期の竪穴建物跡から鉄鏃とともに出土した小玉1点が最古の事例である。古墳時代後期になると横穴式石室からの出土例が増加し、6世紀前半の首長墓である豊田大塚古墳からは、直径約1cmのガラス丸玉が163点、直径3~4㎜のガラス小玉が108点出土し、丸玉は首飾り、小玉は腕飾りとして被葬者が身につけていたとみられている。このほかに藤山1号墳・キヨツカ2号墳・岩長遺跡ST06・荒山1号墳などで丸玉または小玉が出土しており、根川1号墳からは濃紺色のガラス丸玉を親玉として暗緑黄色のガラスを班点状に3箇所象嵌したトンボ玉(班点文ガラス玉)が1点出土している。古墳以外では神明遺跡からガラス玉が2点、梅坪遺跡からガラス小玉6点が出土している。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻306ページ、19巻88・118・206・256・427・436・466・560・722ページ