(かわかみけ)
【近世】
近世挙母北町(のち中町)の商人。小川屋という屋号で酒造業を営み、味噌・米・麦なども扱い、「衣下町の図」に「右茂助」とある家で、城下で唯一瓦屋根の屋敷を所持していた。川上栄茂助は、町年寄を務め、文化8(1811)年3月26日に伊能忠敬が当地を測量した際、川上家が本陣として使用された。また、天保3(1832)年に幕府役人が当地を廻村した際も、同家に止宿している。川上家は、岩倉村宇野家と縁戚関係を有し、足助の小出権三郎・小出権右衛門・紙屋鈴木家との金融関係もあった。同家は、やがて経営が悪化し、足助商人からの借金のほかに、挙母藩の拝借金や宇野ら親類からの借金などが合計1800両余りとなり、文政元(1818)年12月、親類と町内の者とが相談し、債務の整理が行われている。栄茂助の次の与茂助の代になると、困窮のため屋敷や土蔵などを人手に渡したという。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻342ページ