(かわはらのみやあちわじんじゃほんでん・せっしゃはちまんじんじゃほんでん)
【建築】
御蔵町(足助地区)。川原宮謁磐神社本殿の建立年代は、寛文8(1668)年の棟札があり、様式的にも江戸時代初期の建立と考えられる。本殿(写真)は三間社流造、屋根は檜皮葺である。規模は桁行3間(14尺6寸)、梁間2間(9尺4寸)の身舎の前方に三間庇を付した大型の三間社流造で、軒は二軒本繁垂木、玉石の礎石上に土台を敷き、その上に柱を立てる。妻飾は虹梁大瓶束で束上には二段の実肘木付の出三斗(2段目の螻羽方向は連三斗)を載せ化粧棟木を受ける。破風の拝みには蕪懸魚を吊る。庇柱は面取角柱で、柱間には頭貫虹梁を入れ、端に木鼻を出す。柱上では両端に連三斗、中2本に出三斗を置き、中備に蟇股を配す。また、身舎柱との間には両端に海老虹梁を渡し、中2本に手挟を入れる。身舎の正側三方には刎高欄付の縁を廻らし、側面の縁後端に脇障子を立てる。縁正面では逆蓮頭の柱を立て、登高欄付の木階7級を設ける。身舎柱は円柱で、四周の柱間には縁長押・敷鴨居・内法長押・頭貫を廻らし、頭貫端に木鼻を出す。柱上では四隅に実肘木付の出三斗(螻羽方向は連三斗)、四隅以外には実肘木付の平三斗を載せ、中備は用いない。身舎正面の柱間には敷居と鴨居を通して格子を嵌め殺している。その1間奥の内陣正面の各柱間では、方立・小脇羽目を組んで両開き板唐戸を吊る。東側面の前端には引込み板戸を入れる。この本殿では、手挟や彫刻装飾などの細部意匠に足助八幡宮本殿の影響がみられる。摂社八幡神社本殿は、一間社流造、見世棚造、屋根は板葺(鉄板覆)である。規模は、桁行1間(5尺)、梁間1間(3尺8寸)の身舎の正面に一間庇を付したものである。身舎の正面には濡縁を配す。妻飾は、虹梁上に大瓶束を立て化粧棟木を受けている。庇柱は面取角柱で、柱間には頭貫虹梁を渡し、両端に木鼻を出す。柱上には大斗実肘木を載せる。身舎の柱は円柱で、各柱間に縁長押、内法長押を通している。身舎正面には、幅広の小脇羽目を入れ、両開き板唐戸を吊り、側背面の柱間に横板壁を入れている。建立年代は絵様から江戸時代初期頃と考えられる。本殿と摂社ともに、県指定文化財になっている。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻233ページ