勧学院文護寺跡

 

(かんがくいんもんごじあと)

【考古】

高橋地区の寺部町に所在し、矢作川左岸の段丘西端に立地する7世紀末に創建された古代寺院跡。遺跡がある極楽山隨應院不遠寺の寺伝によると、同寺は長享2(1488)年に勧学院文護寺跡に建立されたという。寺の境内には塔心礎(写真)が残存しているが、原位置から移動している可能性が高い。また伽藍を構成する建物遺構も不明である。しかし隨應院の南東側から寺部遺跡の北部にかけての地点で古代瓦が多量に出土していることから、この範囲に瓦葺き建物が存在した可能性がきわめて高い。主な軒瓦は複弁六弁蓮華文軒丸瓦と四重弧文軒平瓦で、前者は伊保廃寺のものと同笵である。これらの創建期の瓦以外には目立ったものはなく、また8~9世紀代に廃棄された瓦の集積もあることから、寺院は比較的早い段階に廃絶したものと思われる。


『新修豊田市史』関係箇所:2巻57ページ、20巻314・724ページ

→ 古代瓦礎石