願成寺本堂

 

(がんじょうじほんどう)

【建築】

畝部東町(上郷地区)。本堂は、棟札によれば「弘化三年正月十八日上棟」とある。また、寺記の『系譜』によると、弘化3(1846)年上棟から文久2(1862)年の余間・内陣出来上がりまでに16年を要している。棟梁は額田郡稲熊村(岡崎市)住人の鵜飼流棟梁大工、久世久吉太稠。脇棟梁は岩津村住人の中村定蔵政重であった。本堂は、入母屋造、本瓦葺、向拝1間(実長3間)付で、東面する。軒は二軒繁垂木。規模は、桁行実長9間、梁間実長8間半で、江戸時代末期の中型の真宗本堂である。間取りは、堂前半の間口6間、奥行3間を外陣、次の奥行1間を矢来内とし、外陣の正側三方に幅1間の広縁を付け、正面には向拝と木階3級を設ける。堂後半の中央には間口3間の内陣、その両脇に間口2間の余間を配し、ともに奥行2間半で、その内の背面の奥行半間に脇仏壇と余間仏壇を設ける。余間の外側には間口1間の落間を配し、堂背面には奥行1間の後堂を設ける。来迎柱・須弥壇を用いる後門形式で、柱は来迎柱2本を円柱とするほかは面取角柱である。床高は余間を上段、内陣を上々段とする。虹梁は落縁・広縁境の柱間、外陣内梁行の柱間、矢来内正面の柱間、脇仏壇・余間仏壇正面の柱間、来迎柱の柱間に渡され、矢来内正面と余間仏壇正面の虹梁上には詰組(出組)を載せる。外陣外廻りは柱上に尾垂木付二手先斗栱(堂内側は出組)を載せ、中備に蟇股を配す。柱間には双折桟唐戸と旧障子を入れる。内陣および余間正面は柱上に出組を載せ、中備に蟇股、内法上に鳳凰と天女と花の高肉彫欄間を嵌め、柱間には双折巻障子を吊る。内陣および余間内部にも出組と蟇股を配す。天井は広縁を鏡天井、外陣と矢来内と余間を小組格天井、内陣を折上小組格天井とし、飛檐の間と後堂を棹縁天井とする。この本堂は、先進的な堂で外陣外廻りに尾垂木付の二手先斗栱、外陣内部や内陣および余間廻りに出組を用い、外陣と矢来内と余間に小組格天井を張るなど仏堂化が一層進んでいるのが分かる。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻77ページ