(かんのんじしてんのうりゅうぞう(にてんりゅうぞう))
【美術・工芸】
像高 持国天(写真右)119.5cm 増長天108.8cm 広目天 109.5cm 多聞天(写真左)118.8cm。持国天と多聞天は榧材一木造、内刳なし、玉眼(後補)、彩色(後補)、増長天と広目天は檜材寄木造、内刳、玉眼(後補)、彩色(後補)。観音寺の四天王像は、持国天と多聞天が平安時代、増長天と広目天が室町時代の作である。持国天は冑を被り、着甲し、右手を腰に当て、左手を振り上げて戟(欠失)を執る姿、多聞天は冑を被り、着甲し、右手は振り上げて戟を執り、左手は掌に宝塔を掲げる姿であらわされている。増長天は冠飾を着け、着甲し、左手を腰に当て、右手を振り上げる姿、広目天は冠飾を着け、着甲し、左手に数珠を執り、右手は拳を握る姿であらわされている。各像は同じ形の岩座に立っており、各台座には享保2(1717)年の修理銘がある。持国天と多聞天の玉眼や、増長天と広目天の頭部・両腕部、脚部の脛から下の部分などは大仏師井上佐源次による享保修理時に補われたものとみられる。持国天と多聞天は市指定文化財。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻94ページ
→ 四天王(二天王)