観音信仰  

 

(かんのんしんこう)

【民俗】〈信仰〉

観音は救いを求める者の声に応じて千変万化するため、六道輪廻に基づく六観音信仰、西国三十三所巡拝に関わる習俗、観音菩薩の最高の功徳が得られるという8月の九万九千日祭礼など、多様な信仰に展開した。市域で多く祀られていたのは馬頭観音で、中馬街道が走る山間部で、荷継ぎや農耕などさまざまな形で馬が使われてきたことが背景にある。折平(藤岡地区)では西屋敷に戸越峠という急峻な坂があって馬の事故も多く、20基ほどの馬頭観音が祀られている。市場(小原地区)ではセケン(よそ、外)につながる旧道沿いに馬頭観音が祀られていた。平野部の宮口(挙母地区)でも牛馬を飼っていた家が多く、牛馬の健康を祈願して馬頭観音を信仰し、豊橋市小松原の東観音寺(臨済宗)の馬頭観音に代参する観音講を組織していた。子安観音は子育て中の女性たちに信仰され、扶桑(高橋地区)の子安観音は、乳の出が悪い母親が手を合わせると良いとされていた。〈信仰〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻825ページ、16巻770ページ