勘八古墳群  

 

(かんぱちこふんぐん)

【考古】

猿投地区勘八町の矢作川左岸の上位段丘上に所在した5基からなる古墳時代終末期の古墳群。近接して立地する1~4号墳のうち、1・3・4号墳は昭和55(1980)年に、2号墳は平成8(1996)年に市教育委員会によって発掘調査された。南東に260m離れた地点に単独で立地する5号墳では昭和61年に農地造成に伴う発掘調査が行われている。内部構造はいずれも胴張り形を呈する横穴式石室で、奥壁が小型化する当地域の終末期古墳の特徴をよく示していて、2号墳を除く4基は玄門に立柱石を立てて玄室と羨道を区分する形態である。遺物の保存状態はよくなかったが、2号墳からは須恵器・土師器・鉄鏃・耳環などが出土している。西方向に開口する2号墳がまず7世紀前~中葉に築造され、その後、他の4基が7世紀中~後葉に相次いで築かれたと考えられている。1号墳の石室が調査後に青木小学校に移築されたほか、2~5号墳は滅失し現存していない。

『新修豊田市史』関係箇所:1巻416・424・463ページ、19巻520ページ