気象観測 

 

(きしょうかんそく)

【近代】

明治政府は明治8(1875)年6月東京気象台を設置し、その後全国各地に測候所を配置した。科学的な気象観測体制が整備され、天気図の作成や天気予報の発表も行われるようになった。気候は農業生産や養蚕などに深く関係することから、愛知県でも明治10年代には県内からの気象情報の収集に努めた。また東加茂郡役所が県へ提出した郡政事務報告書にも気象の項目が立てられ、気温・降雨量・天気・風向・地震・霜などの観測結果が記載されていた。明治24年1月名古屋に測候所が開設され、その後県内25か所にも雨量観測所が設けられた。矢作川水系でも額田・西加茂・東加茂郡役所などに雨量観測所が配置された。西加茂郡役所の観測所は旬間気象表を出していた。明治30年代になると、東加茂郡や北設楽郡にも気象観測所の設立が県によって認められ、気象観測体制の整備が進んだ。暴雨警報など緊急の気象情報を伝達するために、30年代後半には東加茂郡には信号標識が標示され、また天気予報も郡役所や警察署・巡査派出所などに掲示されるようになった。民間でも月山左一郎が毎日の気候を観測して晴雨表に記録し、明治15年から27年までの分が現存している。また小学校にも気象観測記録が残されている。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻290ページ、12巻360ページ

→ 月山左一郎