(ぎせいてきおやこかんけい)
【民俗】〈社会生活〉
民俗社会では、実の親子でない人が何らかの理由でオヤ・コの関係を結ぶことがあり、こうしたものを擬制的親子関係といっている。子どもの出生から幼少の時期にかけてオヤ・コの関係を結ぶ場合は、健やかに成長して欲しいという実の親の願いが込められており、オヤに頼まれる人は多産で元気な子を育て上げたとか、子育てが上手であるとかの実績の持ち主であった。戦前は、子どもが生まれる時は姑や近所の経験のある女性たちが取り上げ、トリアゲババサと呼ばれたが、その役目を取上げ親ともいった。市域山間部では、結婚のときに仲人を依頼したオキモリオヤの夫人が取上げ親となる例が多くみられた。生まれた子どもの育ちが悪い場合、健やかに育つことを願って儀礼的に捨て子にし、拾い親に拾ってもらうことがあった。小原・足助・旭・稲武地区などで多くみられたが、拾い親に頼まれたのは、子どもが多く、丈夫に育てた人であり、オヤモト(親元)と呼ばれた。拾われた子は正月には親元の家で過ごすしきたりがあり、その付き合いは死ぬまで続いた。また子どもができない人が親戚などの子どもを形式的に貰い、ヤシナイゴ(養い子)にすると子が授かるといわれ、そうした養い親の慣行もみられた。産婦の母乳が出ない場合には、近くの母乳が多く出る人にチチオヤ(乳親)を頼んだ。綾渡(足助地区)では母乳を飲ませてもらったチチコ(乳子)が、乳親をオッカサンと呼んで相談に来たり、農作業などの手伝いに来てくれたりしたという。結婚の時期やムラ入りの際にオヤ・コの関係を結ぶのは、コが社会的に一人前の生活をするにあたって、経済的、精神的にオヤに頼ることが必要なためであった。市域山間部では、結婚に際しては婿方、嫁方双方がそれぞれオキモリオヤ・オキモリ、キモイリ、オセワニンなどといった仲人親を立てた。仲人親を依頼するのは婿・嫁の家にとって一番重要な家で、ホンヤやシンヤ、親戚、有力者、トナリなどであった。仲人親は縁組を成立させ、婚礼には親代わりを務めた。婚礼以後も婿・嫁であるコとの関係は緊密で、夫婦間のもめ事の相談などの面倒をみてやった。よく「夫婦間のもめ事は双方のオキモリオヤが入らないと話が付かない」といわれ、離婚になった場合には、双方の利益代表として別れ金などの交渉もした。夫婦に子どもが授かると、取上げ親を務め、コの側からみれば2代に及ぶオヤ・コ関係となった。コの務めとしては、盆正月の付け届け、農作業などの手伝いがあり、仲人親が亡くなると、必ず葬儀の取り持ち役を務めた。このほか、他所からムラ入りするときに地元の有力者に後見になってもらうことがあり、これをワラジオヤ、その家をワラジヌギバといった。転入者のムラでの生活を保証する役であり、転入者がこの親の同族の一員に組み込まれることもあった。〈社会生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻560ページ