(きたのわきこよう)
【考古】
市域西端部の挙母地区高崎町へと続く猿投山西南麓の一小支丘陵の東緩斜面に構築された須恵器・ 灰釉陶器併焼窯。昭和43(1968)年、市文化財保護委員会によって学術調査が行われ、灰釉陶器生産が本格化する直前の井ケ谷78号窯式期(9世紀初頭)の須恵器と黒笹14号第1段階(井ケ谷78号窯式期併行)の灰釉陶器を併焼した窖窯1基(残存長7.4m)と灰原が検出された。灰釉陶器の出現を考えるうえで重要な資料を提示している。平戸橋町の民芸館に移築復元されている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻153ページ、20巻24ページ